福井佑実子氏にきく 「 障害が「ない」に変わっていく社会づくり 」

interview
福井佑実子さん(株式会社プラスリジョン 代表取締役)
SUMMARY
障害が「ある」から「ない」に変わっていく社会を創りたい。その想いの源泉と現在のご活動についてお聞きしました。
聴き手
村上豪英(神戸モトマチ大学 代表)

プラスリジョン起業のきっかけ

以前の職場だった国立大学では、主に大学と民間企業・民間団体が連携して新しいプロジェクトを生みだす、産学連携を担当してきました。大学の学部間でも、異分野の研究者や専門家が交流することには大きな意味があります。シンポジウムの語源はギリシア語で「ともにお酒を交わす」 という意味のシュポジオンから出た言葉です。古代ではお食事やお酒を楽しみながら学問や芸術の話に花を咲かせ、文化が発展したのです。食事を取りながら研究者はじめ多様な方々が交流できるサロンを大学の中に創るよう企画しましたが、その際にスワンベーカリーの視察に行ったことが、ひとつの転機になりました。

スワンベーカリーはヤマト福祉財団が設立した東京のカフェであり、多くの障害があるスタッフが働いています。集中力と厳密さをもったスタッフが上質なエスプレッソをドリップするなど、特性を生かしながら働く姿に目からウロコが落ちたのです。サロンは結局実現しませんでしたが、大学のなかに障害がある人々が働く場を創り、将来を担う若い学生たちと自然に接する場ができれば大きな意味があると考えました。

ちょうどその頃、技術ではなくて社会的なニーズに焦点をあてた起業、ソーシャルビジネスの存在を教えてもらったこともあり、徐々に障害のある人の働く場を自分でも創ってみたいと、考えるようになりました。そのアイデアをもって、ビジネスプランのコンテストにエントリーしたのが、2004年。企画をブラッシュアップするなかで、漠然としていた想いが結晶化してきたのです。

その後、背中を押してくれる人の存在もあり、2008年には株式会社プラスリジョンを設立。障害を「ある」から「ない」に変えることのできる仕組みづくりを、経営者として追いかけることになりました。

オニオンキャラメリゼの開発

プラスリジョンを立ち上げる前には、厚生労働省の研究のもと、障害特性と合理的配慮を整理するためのオーガニックのお弁当宅配事業を実践しました。大阪の福祉施設で調理し、あらかじめ注文を頂いた企業に宅配します。レシピに工夫をこらし、オーガニック野菜を250グラム以上、塩分は2グラム以下に抑えた人気のお弁当ができあがりました。

但し課題もありました。障害がある人だけでなく、お客様、生産者(サプライヤー)、施設の職員さんの4者全員がハッピーになる状況を創らないと、このプロジェクトは発展していきません。メリットを感じないプレイヤーがいると、長期的には継続が難しくなってしまうのです。社会起業家のための塾で学び、この課題を克服すべく開発したのが、オニオンキャラメリゼでした。

オニオンキャラメリゼは、タマネギをソテーして真空パックに詰めたオリジナル商品で、カレーやスープ、シチューなどのベースとして料理に使います。障害がある人が得意な作業を分析するだけでなく、地産地消にこだわり、淡路の特産品であるタマネギを使って商品開発しました。ギフトにも使えるようにパッケージをデザインし、様々な料理に使うことができるように工夫したレシピも添付しました。今では、毎月数千パックを生産・流通させることに成功しています。

今後の展開

現在の主力に育ったオニオンキャラメリゼですが、民間企業と遜色ないレベルで製造現場を管理するのは簡単なことではありません。でも、高いレベルで現場を管理することができれば民間企業との協働も展開できます。民間企業と協働することで、民間企業での障害のある人の活躍の場も増えていきます。現在、賛同してともに厳しいレベルで挑戦してくれる施設は、そう多くありません。もっともっと障害のある人の働く場を追及していきたい。そのためには、働く場としての施設を私自身が開設することが必要だと感じています。

また、同時にコンサルティングや研修の仕事も増やしていきたいと考えています。合理的配慮と呼ばれますが、環境や設備などを変えることによって、障害は「ある」から「ない」に変えることができます。自分の経験や知識を発信することで、障害のある人の雇用や合理的配慮を考えることが普通になる社会を創りたいと考えています。

そのためにも、前述した私が開設する施設は、ショールームの役割も担うことができます。百聞は一見にしかずで、障害のある人々が自分の個性を生かして働いている姿を、実際に一般企業の経営者が見学できるインパクトは本当に大きいですし、実際の業務としての可能性を実感することによって、職場での導入を具体的にイメージできるようになる、と期待しています。

神戸のまちにかける想い

もともと私は大阪で生まれ育ち、神戸との縁は特にはありませんでしたが、起業したころ、これからの社会のモデルをつくるうえで、「食」を追求するならば神戸がいいと考えて、拠点を移しました。今考えてみると、これは正解だったと思っています。

食を軸として、障害がある人の働く場をつくるときに、大都市でありながらこれほどプレイヤーがそろっているところはありません。兵庫県内には世界的にも有名な有機農業のネットワークもありますし、開港以来根付いた食文化が、食にこだわる顧客層の厚みにもなり、またレシピづくりにも役立っています。畑から食卓につながるオーガニックな生態系のなかに、障害がある人も自然に役割を担い参画している。そんなモデルを神戸から発信したいと願っています。

とは言え、新しい制度や先進事例は首都圏で生まれているのが現実です。障害がある人が働きながら普通にうまくいっている事例を神戸で紹介しつつ、いつか神戸から先進事例を生みだしていきたい。将来、もし自分の仕事が必要なくなったら、それが理想の社会の姿だと考えています。


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